2013年度『修道12回同期会』の開催

  2013年1月21日   増本 光雄
 
現在、修道学園の卒業生総数は優に3万人を超えている。一方、同窓会誌『修道』は年一回発行で4000部発行である。配布する手段も限られているし、到底全員に行き渡る数ではない。このことを思えば、今の時代の通信手段はまさに『インターネット』が旬であるとつくづく考える。近い将来、パソコンの普及率がほぼ100パーセントに達し、インターネット通信が同窓生の通常の通信手段としての地位を築けば、計算上では、3万人余に行き渡る可能性を秘めていることになる。
情報を入手しようという意志さえあれば、インターネットでは、いつでも、どこでも、最新の情報を得ることができる。ただ、「問題はどのくらいの卒業生がホームページを開いて見ているか?」ということである。
実を言うと、パソコン時代に育っていない私達12回生のほとんどの者が修道学園同窓会の『ホームページ』を開いて見ていない。
実質的には、2012年7月17日に産声を上げたばかりの修道学園同窓会の『インターネット通信』であるから、全部の同窓生に周知徹底されていないことは認めざるを得ない。
しかし、情報の豊富さからも、迅速性からいっても、これからの通信手段は『インターネット』が主になる可能性は大である。
2012年8月10日に修道学園の卒業生が社会で活躍している様子を克明に記した本『男たちの修道』が『南々社』から上梓された。この本はたちまち広島市内でベストセラーになった。
この本の出版によって、『修道学園』というものが改めて、卒業生はもとより、一般市民にも強く認識された。
このブレークにうまく乗って『修道学園(中・高)同窓会』のホームページをPRするベストな時期が巡ってきているのである。この時期を逃す手はない。

 

一方、『情報誌』はどうしても情報量が限られる。各学年広範囲にわたって、平等を期すために「原稿用紙2枚(800文字)以内にお願いします」等の要請が事務局から入る。投稿者にすれば、短文にまとめるほど困難なことはない。その点、『インターネット』ではほとんど無制限に書ける利点がある。投稿者にとって、これは非常においしい話である。
かといって、『情報誌』という通信手段を疎かに考えているわけではない。
2012年9月からカラー化した情報誌は一段の進化を遂げた。その情報誌の足りない部分を補って余りあるのがインターネットである。これからは車の両輪のごとく、両方の通信手段の一層の相乗効果が望まれる。
同窓会幹部の方々も同窓会事務局の職員の方々も、これからもっともっとインターネット通信に力を入れて欲しい。また、あらゆる学年の同窓生の投稿があふれんばかりに集まることを強く望んでいる。

 

さて、同窓会の『インターネット通信』の方法であるが、これが至極簡単である。
学園に原稿を送る場合は、原稿と写真をパソコンに取り込み、同窓会事務局(直通)に電話をします。すると、すかさず専属の美声の事務局員が電話口に出てくれます。そこで、メール番号を聞いて原稿と資料写真を送信すればオーケーです。
原稿を事務局に持ち込む場合は、原稿をUSBに取り込んで、添付する写真を持参します。15分くらいは待たされますが、原稿はすぐにパソコンに転載され、写真はスキャナーで取り込まれます。投稿者はたちまち解放され、早々に追い返されます。「原稿は2、3日すればインターネットで流れます」というあっけないくらいの段取りになっています。

 

さて、そろそろ本題に入ろう。修道12回の同期会も今年で44回目を迎える。『同窓大会』の担当を無事終えた翌年の1月12日にスタートして毎年欠かさず続けてきた。かくて、私達12回生も今年度で72歳を迎えようとしている。
その前哨戦ともいうべき『修道中学6組会』を毎年12月30日に開催している。
この『6組会』は、たとえわずかな期間でも席を同じくしたすべてのクラスメートに呼びかけて開催している。年の終わりを、元気に生き残った者が集い、感謝の気持ちを込めて、去り逝く年に別れを告げる会にしている。
その有資格者は全部で61名。そのうち住所不明が4名。死亡者が10名。すでに恩師も亡くなった。病気で動けないもの4名。ともかく、現在43名に案内状を送付している。
会場は私の自宅。広島駅に側近。昔造りの10畳の間。今年の出席者は25名。2名が近親者の不幸でドタキャ 6kumi-kai.jpg ン。通常の出席者は今のところ25名から29名の間。
本人の命もおぼつかない年齢に達している私達にとって、近親者の不幸は当然想定内で、ドタキャンは覚悟の上である。ともかく、この会も30年以上続いているのである。この会を楽しみに、毎年遠隔地より多くのクラスメートが参集して来る。
12月30日の例年の『クラス会』以外にも、時には松茸刈りあり、別荘の披露会あり、プチ修学旅行あり、時には海外旅行あり、ゴルフ大会あり、飲み会ありのバラエテーにとんだ楽しい会である。

そうしたクラス会を年末に終えて、いよいよ年が明けた1月12日の『同期会』に臨む。
昨年は出席率50パーセント増しを達成したが、ここからの増員は厳しいものと覚悟していた。2012年末には、すでに昨年度実績の62名出席の数字はクリアーしたものの、これから数字を伸ばすのは余程の労力をかけないと達成できない。
会のプロデューサーは毎日ように出欠の推移を報告してきたが、一進一退でなかなか数字が伸びない。
この年齢で、この寒さである。必ず2,3名のドタキャンがあるものと覚悟して臨まなくてはならない。
開催2,3日前より、キャンセルが入り始めた。目標の70名に達したかと思いきや、67名前後の攻防が続く。  たいていは本人の入院と近親者の訃報と「どうしても断りきれないお付き合いで」という事である。
当日の飛び込みもあったが、最終的な出席者員数を67名と決定して、前日に予約を入れた。
会場は『酔心本店』5階の宴会場。収容人員70名前後が限度である。
案の定、危惧していた当日無断欠席が2名出た。想定外のメンバーである。電話連絡しても応答なし。
成す術もなし。結局、昨年より3名増員の65名に落ち着いた。
会費は7000円で、宴会費に5800円を充てる。残りの1000円を通信費と記念の写真代に充てることにして、残りの200円を不測の事態(ドタキャン)の会費不足の穴埋めに使うことにした。
同期会の案内は封書にして返信はがきを同封した。案内文はペーパー1枚に収めた。毎年のことであるから、あまり長文にすると読まない。その代りに、下段に空白を設け、280人一人一人宛てに直筆でメッセージを加える
12kai-sinnen2.jpg ことにした。それぞれに個人宛てのメッセージがあるので、これには必ず目を通す。ついでに、全文にも目を注いでくれるのではないかという作戦である。それに住所不明者のリストを添付して、合計2枚にまとめた。
同期会は同期生が一堂に顔を合わせて、楽しい一宵を共に過ごすことを第一の目的とする。
それに、消息不明(物故者の情報を含む)、宛先不明の同期生の住所を明確化することが第二の目的になる。
いわゆる、住所録の充実である。
当日は、幸運にも、天気も回復して、真冬にすれば、比較的暖かく、絶好の同期会日和となった。
案の定、会は異常な盛り上がりを見せた。まず、世話人代表が「おめでとうございます」の挨拶。ついで、出席者に商工会議所の会頭がいるので、賑やかしに挨拶をしてもらうことに。更に、53年ぶりに出席したほとんど見知らぬ爺さん5人を前に並ばせて一言ずつ挨拶させることにした。
やおら一連のセレモニーを終えたところで、乾杯に移って、そのまま宴会になだれ込んだ。
長い演説は誰一人聞く耳を持たないので、そこは演者も聴衆もわきまえていて、「挨拶は短く!」と直ぐに野次が飛ぶ。
『酔心本店』5階の宴会場には10人掛けの丸テーブルが7つ並んでいる。65名のこの人数では丁度収まりが良い。給仕のお女給さんは老中若織り交ぜて6人ばかり、サービスに抜かりはない。年相応に『酔心』らしく和食中心である。同期会の環境としても悪くない。特に主任級のベテラン接待係は幹事にそれとなく
12kai-sinnen1.jpg 、埒もなく話しかけてくる。世知辛いご時世である。特に、外食産業は厳しい。一つでも次会の予約が欲しいところである。
こんなお正月気分満々の中で、多少立居振舞が鈍くなった爺さんたちは、少しばかり腹に活力の元を詰め込むと、たちまち蝶のごとくテーブルからテーブルを飛び回り、握手し、肩を抱き合って、胸の前のネームプレートと顔を見比べながら、話に花が咲く。
それでも会費分は飲んで、食べて帰らないと、家を出るときに、細君に「今日は帰って来てもなにも食べるものはありませんよ!」と念を押されているものですから、刺身も茶碗蒸しも釜飯も見事に平らげている。普段食事制限をされている者がほとんどであるから、この時とばかり、体に悪い、おいしいものを必死で腹いっぱい摂取することに専念するいじらしい爺さんの姿があった。
そうした楽しい会も2時間がたち、そろそろ中締めの時間となった。まず、全員の集合写真を撮って、輪になって、校歌と応援歌を2曲歌い、また、最後に性懲りもなく校歌を歌って、ほろ酔い加減の老人達は、一抹の未練と寂しさを引きずりながら、2次会へと、あるいは家路へと三々五々寒さが増した夜の街に身を縮めて散って行った。
それにしても、愛校心に富む、団結力が強い、わが修道健児には輪になっての校歌斉唱がよく似合う。いつもこのシーンが会一番の盛り上がりを呈する。
さて、1月17日には出席者に対し、集合写真と3枚から5枚のスナップ写真をお礼の手紙とともに郵送した。勿論、この度も、愛をこめて、下段の空白に、一人一人宛てにメッセージを付け加えることにした。
あくる日には、早速、9人の出席者より同窓会の世話と写真に対するお礼の電話がかかってきた。1月21日までには3通の礼状が届いた。更に強いつながりを感じる日々であった。
今年度よりも来年度はもっと多くの出席者を獲得すべき最大の努力と全知全
12kai-sinnen3.jpg 能を傾けた機略を持って臨む積りである。
そもそも同期会というものは、おおよそ、身体に大した異常がなく、精神的に落ち着いていて、経済的に安定していて、家庭も人並みにうまくいっていて、大いに暇のある連中が群れ集う場所であるから、楽しい環境は初めから整っているのである。
そうした楽しい場を更に盛り上げるために、これからも、同期会には自ら進んで出席して欲しいし、年降るに従い、そこから更に活発な多種多様な交流の場を築いていってもらいたい。
準備から同期会当日までの2カ月間のすべての活動はこれで停止される。また、我々必殺世話人達にはまた暫くは元の静かな生活が戻ってくる。