2014年度『修道12回同期会』を終えて

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2014年度『修道12回同期会』を終えて

                  2014年1月21日()

                     増本 光雄

 

EPSON010-1.jpgのサムネール画像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年9月の第一週目の土曜日に同窓大会が開かれた。8月初旬に葉書で180名に案内を出して、当日はリーガロイヤルに同期生が27名参集してくれた。

 この会には近年多い時で34名、少ない時で25名の同期生が駆けつけてくれていたので、この度の大会はぎりぎりセーフの成績と言えた。

 同窓大会を終えると11月に実行する修道中学6組会の『プチ修学旅行』の準備に取り掛かった。

 11月13日と14日の鳥取市への1泊旅行は『蟹すき食べ散らかしの旅』をテーマに中学時代の同級生7人が楽しい旅を満喫した。

 早くも、この旅の前後に12月30日の恒例の『修道中学6組会』(クラス会&忘年会)の準備に取り掛かっていた。

 それと並行して、2014年1月12日()の『修道12回同期会』の準備にも手を付けた。

 『6組会』は出席25名。まずは盛会の内に終えることができた。

 

さて、今回の主要テーマである1月12日の『同期会』に話を移そう。

12回の卒業生総数は360名であった。そのうち住所が判明している者、且つ、この歳になるまで生き長らえている280名に案内を出したところ、出欠の返事の締め切り日までに出席の返事が届いたのは42名であった。

さすがに72歳のこの歳になると「明日をも知れない?」境遇であることを反映して、おじい様方は出欠の返事に慎重になられている様子であった。

そういう事情は充分に理解している積りではあるが仕掛けた方としては気が気でない。

幹事2人はお互いに慰め合って、正月をやり過ごすことに腹を決めた。

こうして、同期生全員に案内状を出すのは、勿論、出席を促して、出来るだけ多くの同期生を集め、会を盛り上げようという目論みが第一目的であるが、もう一つ、同期生の安否とか消息を調べるという重要な情報収集活動をも大切な目標としているのである。

正月明けにボツボツ出席の返事が来るようになって、12日の当日までに62人を数えるまでに出席者の数は増えた。

何とか面目を施すだけの数字を達成できたとホッとすると同時に、72歳の高齢である。人生何が起こるかわからない。必ず、2,3人の急遽欠席の電話が入るものと覚悟を決めていたところ、案の定、前日昼前に2名の欠席の電話通達。「ありゃ!これで瀬戸際の60名になってしもうた」。

一昨年が62名、去年が65名。この1年で7名の同期生があの世に旅立ったとは言え、60名を切るのは世話人としても責任を感じる。

ところが、当日の朝になって、欠席の返事を出していた同期生2人から「急で申し訳ないが、出てもいいか?」という電話がかかってきた。これで62名。「いいどころではない。こちらは大歓迎だ!」とすぐさま料理と酒を追加注文した。

準備万端整えて、当日、受付で同期生の来場を待ち構えていると、いつも返事の来ない飛び込み専門の医者兼病院経営者が悠然と現れた。医者は致し方ない。身の振り方も患者次第である。当の本人は「確か、出席の返事を出しておいた筈なんだが?」と何ら罪の意識も感じていない風情で、いつものように温和な顔をしてニコニコしている。世話人側は[形はどうでもよい]。とにかく、この際『出席』は大歓迎。すぐさま料理1チョウを追加。会場は『アンデルセン』である。一階のパンとハムを持って来て、切って、皿に盛れば、完了である。

ところが、もう一人、丁重な『欠席』の返事が届いていた元東大教授がアノ筋のお方と思われる黒ずくめの出で立ちでエレベーターから降りて来て、受付の前に立った。

その存在自体が信じられないでいる世話人達は一瞬彼が誰だか判別がつかない状態に陥っていた。なにしろ14年ぶりの出現である。彼の方から自分の名前を名乗られて、やおら「あんたからは欠席の返事を頂いているが?」と言うと、「出席と書いた筈だが?」と完全に呆けまくっている。

どうやら、若い時から脳を使いすぎて、もはや、今では記憶の許容能力に限界が来ている様子である。やはり、脳というものは酷使しないで、適当に使用して、長持ちするよう心掛けるのが賢明な生き方であるとつくづく思った。

いわば、彼の場合、「昔日の高性能ジェット戦闘機が老朽化して、現在も大空を飛び回っているという危険極まりない状態にある」といっても過言ではない。

さあれども、わざわざ神奈川県から駆けつけてくれた彼が今回の来場者の中で一番の人気を博したことは誰も認めない訳にはいかなかった。「彼を見ただけでも、この会に来た甲斐があった!」という感想を述べた同期生もいたくらいであった。

「やれやれ、これで出席者が64名になった」と肩の荷が下りたところで、時計を見ると開始予定5分前。『全員集合!』。ありがたや、受付の旧石器時代の美少年4人もこれで解放される。とかく、年寄は暇なうえに、せっかちであるから、こんな時には予定時間内でとんとん拍子に事が運ぶ。

受付で徴収した会費の額もピッタリ。かくて、同期会は和やかなうちに予定の6時30分丁度に開始された。

 

そこはアンデルセン。盛り合わせサンドにナッツ&レーズンパン、各種チーズにポークハムと焼き豚、鳥のテリ焼きに海老と烏賊と野菜の海鮮サラダ、最後にデザートとピラフが出たことは覚えているが、慌ただしさと会の盛り上がりですっかり舞い上がり、後は何が出てきたか見事に忘れてしまっていた。

飲み物は本物のビールにワインに焼酎の水割りに冷酒にノンアルコールのビールにウーロン茶と多種多様。もちろん最後の締めとしては小さめのカップの一杯のコーヒーということになっていた。

 

 

 

司会進行、開宴の挨拶、物故者への黙祷、乾杯はできるだけ手短にして、同期生同士の交流、歓談に多くの時間を割くことにした。会の途中で、初めてこの会に出席した同期生に自己紹介をお願いし、はるばる大阪府から駆けつけてくれた同期生に挨拶をしてもらい、くだんの神奈川県から参加した『高性能旧型ジェット戦闘機』に壇上からの『一本締め』の披露をお願いした

もしも会費が浮けば、写真を送ることにして、まずテーブルごとの記念写真を撮り、同期生同士の歓談のスナップを撮り、最後にひな壇の上に64名全員を整列させて、集合写真を撮影した。

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会場は9時まで予約していたが、何しろ72歳のおじいちゃんの集まりである。8時30分に閉会することにして、例によって、輪になり、校歌と応援歌を唱和して、お開きにすることにした。

テーブルには多くの種類の豊富なパンが手つかずに残されていた。

会計部長が「あのパン、犬に食わすと言って、持って帰ることは出来んかのう?」というので、「一週間ほど毎朝、2匹の犬がコーヒー飲みながらあのパンを食べるのか?」と笑い飛ばした。

世話人が会の費用を精算して、コートの襟を立てて屋外に一歩を印す頃には、同期生は三々五々日曜日の冷たい空気に包まれた街の中に消えていた。

「みんな来年も元気でこの場所に戻って来てくれますように!」と、取り敢えず思い出す手じかな神様にお願いして帰途に就いた。