奥本 博(旧中39回)
私達、修道三九一(みくいち)会は、去る平成26年9月9日、毎年恒例の総会を広島市内で開催しました。
修道三九一会とは、昭和18年の春入学をして、戦争が激しくなるにつれて勤労奉仕に続いて学徒動員に従事し、あの原爆の惨禍にも遭い、昭和22年の学制改革により旧中39回で卒業した者と、翌年高校1回で卒業をした者のみんなの同期会であるため、このように名づけられました。 同期の者の誇りは、あまりにも有名な日本画家の平山郁夫さんと一緒であったことですが、残念ながら平成21年12月2日に亡くなられました。
総会当日は、遠く関東と関西エリアからも駆け付けた者を含めて21名で、この1年間に亡くなった友人6名に黙祷を捧げ、世話人代表坪田幸雄君の挨拶、広島大学名誉教授の檜原忠幹君の瑞宝中綬章受賞を披露し、その外の諸行事を終えて親睦会に移りました。終わりに石本芳郎君のリードにより修道校歌と応援歌の斉唱をして、盛大に有意義な集まりができました。 ついでながら、記念写真の中央に掲げてある修道三九一会の旗は、麓 忠義君が自費で作ってくれたものです。
その後、数名で急遽久しぶりに学校に行き、近川事務局長のご案内で修道学園所蔵記念品室、原爆死没者追悼慰霊碑、旧広島陸軍兵器補給廠の外壁煉瓦モニュメント(これは修道三九一会が恩師景山英俊先生からもご出宝を頂き、平山さんの碑文、兵器廠の写真、説明板を添えて慰霊碑の近くに設置したものです)、移築復元完了の「修道学問所之蔵」及び人工芝のグラウンドを見てまわりました。 更に昔からあるプールの話になり、事務局長に被爆直後(同年9月上旬と思われます)米軍が撮った修道を中心とした全景と大破した当時の新校舎の鮮明な写真2枚を見せて貰いました。 よく見ると新校舎の南壁面が全く無いにも関わらず、このような場所で取り敢えず授業を受けているのでしょうか、生徒が多数写っておるのが分かりました。 プールの飛び込み台も見えます。 このことは学校関係者の方々としても今まで気づいておられなかったようで、このたびのみんなとの話し合いの中でお互いに確認をすることができました。 当日は、突然の予告なしで学校に行きましたが、次回は、大勢で行かせて貰うことにしたいと思っております。
(写真1) 後列の方 左から(ジグザグに)
玉川光昭 奥本博 篠塚信彦 山田足穂 平田正晴 久保田哲生 柳田遵⇒
⇒森本昭男 麓忠義 松浦正和 大盛一郎 伊東茂夫 馬場潔 阿須賀雄三
前列左から 石本芳郎 山村一石 檜原忠幹 坪田幸雄 吉田博行 岡野健 原田三郎
(写真2) 左から 坪田幸雄 大盛一郎 柳田遵 奥本博 麓忠義